2013年 報告
12月20日、大宮での授業後、2時に浦和駅西口に集合して、地元浦和を散策しました。
生憎の雨模様でとても寒かったですが、参加予定者は全て揃い23人で散策開始しました。
予定では調神社参拝がありましたが、足元が悪いので割愛し、まず玉蔵院に向かいました。
平安時代の創建という由緒あるお寺で、歴史と風格を感じさせる山門、本堂、地蔵堂、お庭でした。普段は枝垂桜ばかり見ていましたが、改めて参拝すると、凝った意匠や構えが立派に感じられました。寒さに凍えながらも集合写真を撮る頃、遂に雨が霙混じりとなり、参加者の心は散策より忘年会へとぐっと傾き「早く暖まろう!」と言う声もチラホラ聞こえてきました。
それでも散策はしっかり続け、浦和御殿跡、今の常磐公園まで足を伸ばし家康の行在所を偲びました。慈恵稲荷の前の庚申塔に富士山、大山、引又道と刻まれていて、昔の街道であったとの説明に至極納得しました。ここで二・七市が開かれ賑わっていたようです。常磐公園への道沿いにはそれを示す野菜を売る女性の像がありました。普段全く気付きませんが、地元に素晴らしい物があることを再認識しました。最後に浦和宿本陣跡に辿りついた時は、敷地全部が水たまり状態でした。星野家が本陣を任されていましたが、その維持は大変で元禄に300石あった田畑を幕末には35石に減らしたとの事です。いつの時代もお上のやり方は巧妙で厳しいものだと感じさせられる話でした。
参加者の我慢も限界に近づき、4時開始予定の忘年会を3時半に繰り上げて、会場の「てけてけ」に向かいました。忘年会は追加の参加者も得て大変な盛り上がりになりました。あっと言う間に時が過ぎ、引き続きの2次会カラオケも16人もの参加で更に楽しく盛り上がりました。今年最後の散策でしたが、苦労あれば楽しさありの半日となりました。
「歴史散策倶楽部」第9回活動は「忠臣蔵を歩く」と銘打ち吉良邸跡地や泉岳寺を廻りました。10:30両国駅に集合したのは前回と同じ26名(女性16名男性10名)天候は快晴ながら冷たい北風の吹く寒い日でしたが、皆さん見事な健脚ぶりを発揮し、元気に散策を楽しんだ一日となりました。
最初に訪れたのは大高源吾句碑、その後両国回向院へと向かいます。明歴の大火で亡くなった多数の霊を弔うために建立された寺院で、1781年勧進相撲が境内で興行されたのが現在の大相撲の始まりとなり後に旧両国国技館が建てられました。そして吉良邸跡(写真右)当時は2,550坪の広大な屋敷でしたが現在の跡地は86分の1の広さです。その後芭蕉記念館と芭蕉庵跡を見て、割烹「みや古」で深川名物「深川めし」に舌鼓を打ちました。
昼食の後は森下駅から地下鉄で泉岳寺駅まで移動し、泉岳寺の中にある赤穂義士の墓碑48基を全員でお参りします。今日は12月13日なので明日12月14日は「義士祭り」の日(旧暦)です。その準備で忙しそうな寺や街の様子が見えました。最後に訪れたのは大石内蔵助をはじめ17名が細川邸にお預けとなり、切腹を命じられた細川家屋敷跡です。今も大石他の義士終焉の地がそのまま保存されている「赤穂義士跡碑」を深く心に刻み「忠臣蔵を歩く」散策を終わりました。
第8回活動は「お江戸の紅葉名所散策」でした。10:30目黒駅に集合したのは男性9女性17の26名と過去最高の人数が集まりました。このため、13名ずつの2班に分け散策開始です。 天候は晴れ、絶好の散策日和で、まず誕生八幡神社を見て、国立自然教育園へ入ります。この自然教育園は中世豪族の館から始まり、江戸時代の高松藩主松平公下屋敷、明治時代の陸・海軍火薬庫などの歴史を重ね、今では都心では希に見る豊かな自然が残された史跡となっています。樹齢300年を超える松や自然に生えたままの雑木林、野草類、鳥類、昆虫類と手入れの行き届いた公園とは全く趣が違った自然園でありました。
その後林試の森公園で落ち葉を踏みながら紅葉を楽しみ目黒不動尊へと歩を進めます。こちらは関東最古の不動霊場で不動明王を本尊とする慈覚大師創建天台宗泰叡寺の末寺龍泉寺です。見事な不動明王が鎮座しておりました。目黒不動尊から大鳥神社へ向かう途中で「青木昆陽」のお墓を見て、日本武尊の東征にゆかりがあると云われる806年創建された目黒区内最古の大鳥神社、寛永の初め湯殿山の修験僧・大海法印が開いた大円寺(ここには五百羅漢像や八百屋お七のお地蔵さんなどがある)を見て16時前に目黒駅帰着、そのまま一緒に浦和駅まで帰って駅前で解散となりました。その後有志8人がレッズファン所縁の飲み屋に繰り出し、ビールで喉を潤して帰りました。
13:00東京駅丸の内北口に集合したのは男性5名女性5名の10名で、いつもの金曜日と違い週末の土曜日となったためか今までで一番少ない人数での散策となりました。天候は曇り、東京駅を出発した時は快適な気候でしたが16時近くなるとかなり寒くなってきました。
最初に訪れたのは大手町ビジネス街ビル群の中に佇む平将門首塚です。いつものようにリーダの説明に耳を傾け、祟りの無いよう丁重にお参りして、江戸城大手門に向かいました。大手門前でまず記念撮影し江戸城跡の散策を開始です。同心番所、百人番所、大番所と三つの番所を通過し、中雀門跡を通過すると旧江戸城内に入ります。富士見櫓から本丸大芝生を右に見て、さらに進むと左に見えてきたのが、あの「忠臣蔵」で名を馳せた「松の大廊下跡」です。ここが赤穂藩の浅野内匠頭と吉良上野介が刃傷沙汰事件を起こしたした所かとしみじみと目に焼き付けました。
さらに歩を進めて行くと、かの有名な「大奥跡」だという大芝生地が見えて来ました。江戸城図面で見ても確かに本丸よりもかなり広い敷地を占めていたことが分かります。その後展望台から二の丸庭園を眺め、最後に天守台に登って江戸城跡地全体を見渡して江戸城めぐりを終わりました。
江戸城を出た後、北の丸公園で文化祭演目ミュージカル「大江戸物語」のリハーサルを行い16時過ぎに飯田橋駅前にて解散となりました。
10月4日、徒歩(トー・フォー)の日だそうです。
どんよりした重そうな雲が垂れこみ時折小雨が混じる中でしたが、天気なぞ物ともしないメンバ13人が飯田橋駅に集合しました。文化祭が近づき、班練習の為、残念ながら参加できない方も多かった様です。
遷宮行事真っただ中の伊勢神宮、東京遥拝殿の東京大神宮に参拝した後、神楽坂散策に入りました。筑土八幡神社・赤城神社・若宮八幡神社の神楽の音が聞こえる事が名前の由来との事です。細く曲がった路地、昔からの佇まい、最新の洒落たお店が複雑に入り組み独特の街並を作っています。かくれんぼ横丁から筑土八幡は古い神楽坂、赤城神社は新しい神楽坂の顔でした。ただ、赤城神社の境内に豪華マンションを建て一部ホテルとしても経営している姿には少し違和感を覚えました。
色々な街の姿を楽しみ、牛込側から神楽坂に戻りました。昼時だけ歩行者天国になる通りを歩き毘沙門天を参拝し、兵庫横丁を探検しました。ここは鎌倉時代からの路地で「和可菜」と言う有名な旅館が有りました。更に、見番跡等を巡り、鳥茶屋別亭で昼食を頂きました。「ふわ~とろ~地鳥親子丼」が美味しかったです。
食後自由時間に、名物五十番の肉まんを買ったり、お土産を物色したり、カフェを楽しんだり、其々の時を過ごした後、牛込城址を経由して宮城道雄記念館を訪れました。「春の海」の曲が流れる中、ビデオルームで伝記の説明や楽器の解説を聞きました。散策の疲れと、食後の満足感で、心地よい眠りのひと時を過ごせた人も多かったと思います。更に、貴重な楽器類、晩年を過ごした住居等を見学できました。
帰路、若宮八幡を参拝して飯田橋駅に戻りました。我々以外にも多くの散策客が居ましたが、何気なく通り過ぎてしまう街並も、素晴らしい解説のお陰で興味深く散策できました。今回も有難うございました。
11時浜松町駅北口に16人が集合して、第5回の散策を開始しました。暑かった夏が過ぎた秋晴れの中、お隣の芝離宮、回遊式庭園を巡りました。途中大島の木陰で文化祭「大江戸物語」の配役、準備、演技を確認し、熱心に練習しました。短時間でしたが、散策クラブの団結を確認できる乗りで本番が期待できる充実ぶりでした。因みに、この島に近寄ろうとする散策客は一人も居ませんでした。
貿易センタビルで各自昼食を摂り、1時過ぎに増上寺へ向かいました。天気が良かったので50階展望台からの素晴らしい眺望を楽しんだ方も居ました。
芝増上寺は大きな三門が有名です。この門をくぐると「むさぼり・いかり・おろかさ」の三つの煩悩から解脱できるもんと言われていますが、翌日の薪能の準備の為、扉は堅く閉ざされれていて通れませんでした。残念ながら、散策クラブの皆さんの煩悩は全て残ったままとなりました。昔は木更津まで音が届いたと言う大梵鐘、二つの本堂、徳川家墓所を巡り、芝公園に向かいました。途中、台徳院霊廟惣門を通り、芝東照宮では「大江戸物語」成功を祈願しました。
ここから、芝丸山古墳、もみじ谷と急なアップダウンが続き、フーフー言いながらも東京タワー直下まで登り切り、その雄姿を真近に仰ぎ、改めてその素晴らしさを実感しました。休憩の後、最後の山登りで愛宕山を目指しました。途中エスカレータに助けられながら青松寺等を見学し、愛宕山山頂まで踏破しました。若干の疲れもいとわず、NHK放送博物館を見学し、愛宕神社を参拝しました。神社の長い急な石段に驚きながら、ここを馬で駆け上がった曲垣平九郎の絵の前で記念撮影しました。新橋までの帰り道に田村町の浅野内匠頭切腹地の碑を巡り、切腹最中の新正堂に寄りました。店のご主人が大勢の来訪を喜び熱心に解説をしてくれました。
東浦和校「歴史散策倶楽部」の第4回活動は、横須賀軍港めぐりと記念館「三笠」の散策でした。9:50横須賀駅に集合したのは男性8名女性11名の19名。天候は晴れて日差しはまだ強く、暑い一日となりましたが、皆さん元気に散策開始です。
最初に駅前にあるヴェルニー記念館を見学、慶応元年横須賀鉄工所開設にあたり、フランス人ヴェルニーの活躍ぶりを示した記念館でした。その後、横須賀港岸壁の散歩道を歩きながら海上自衛隊最大のヘリ空母「ひゅうが」(満水排水量19,350トン)をバックに記念写真撮影11:00より「横須賀軍港めぐり」の船に乗り、米海軍や海上自衛隊の艦船を間近に見て廻りました。まず最初右側に見えたのは米海軍のイージス艦2隻、そしてその後左側より自衛隊のイージス艦「きりしま」が出港するのを見送りながらさらに進むと、見えてきたのはあの米軍の空母「ジョージ・ワシントン」です。案内人の言葉を借りると「今日来た皆さんは本当にラッキーです、なぜなら「ジョージ・ワシントン」は今日夕方出港(出撃?)し、一旦出港すると半年は帰ってこない」からだそうです。(何処へ向かったのかは軍事機密で判りません) その空母ですが、あまり傍まで近づけないので、その大きさを実感できませんでしたが正面を通過した時にその幅の広さに圧倒されました。まさに海に浮かぶ空軍基地という感じでしょうか。その後は潜水艦や自衛隊の艦船などを見ながら港内を一周したところで、イージス艦「おおすみ」(昨年12月北朝鮮のミサイル発射時に迎撃ミサイルを搭載して日本海に配備されたあのイージス艦です)が入港して来ました。最後にヘリ空母「ひゅうが」のすぐ横を通って桟橋に帰着しました。
昼食は横須賀といえばあの「海軍カレー」です。「よこすか海軍カレー館」で「元祖海軍カレー」を食しました。(子供のころ食べたあの懐かしいカレーの味でした)食後はすぐ近くの「諏訪大神社」を参拝、そして最後の訪問地記念館「三笠」へと向かいました。その前に船で渡る予定でした「猿島」は8月29日に発生した火災のため渡航禁止となっていて、渡ることが出来ず残念ながら今回は見送りとなりました。「三笠」艦内では、自衛隊出身と思われる男性のビデオ見ながらの説明と艦内案内で、日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅した時の様子などを詳しく説明していただきました。大変参考になった歴史散策でした。
10:30東京駅丸の内北口に23人が集合して、第3回の散策を開始しました。生憎の雨模様でしたが、まずは新装なった東京駅を巡り、全員で記念写真を撮りました。
今回も名解説で2階建て3階建ての秘密を知りました。旧中央郵便局ビルを改装したKITTEでは自由散策を楽しみながら、銘々昼食を堪能しました。屋上庭園からは違う目線での東京駅の雄姿を真近にし、鉄道ファンにはたまらない「はやぶさ」と「のぞみ」の雄姿共演も望めました。
午後の出発時刻に合わせた様に雨が上がり、楽しく皇居周遊に入れました。まずは、ハイライトである二重橋で集合写真を撮りました。有名な場所ですが「落ち着いて見るのは久しぶり!」と言う感想が多く聞かれました。みんな一様に修学旅行の学生に戻った様な高揚感で盛り上がりました。桜田門では井伊大老事変に思いを馳せ、歴史を勉強しました。法務省の煉瓦庁舎見学では、職員の名解説で法曹界の歴史も勉強できました。憲政記念会館は工事中の為休館でしたが、中庭を借り冷たい物などで喉 を潤し、暫く休憩しほっと一息つきました。
最後は、半蔵門から千鳥が淵緑道を辿り都心とは思えない緑を楽しみながら散策を続け靖国神社まであっと言う間に踏破し、疲れながらも完歩を喜び合いました。
参加頂いた皆さん、大変お疲れ様でした。 私の万歩計では約15000歩でした。
その後、有志が神楽坂のお店に集い反省会を行い散策を締めくくりました。
東浦和校「歴史散策倶楽部」は第2回の活動として、「知らなかった上野」をテーマに後半の部としてリーダの案内で、雨模様の上野を散策しました。
コースは第1回目と同じ上野駅「上野公園口」に13:00集合した後、まず清水観音堂→彰義隊墓所→西郷隆盛→不忍池(蓮池)→旧岩崎庭園→湯島天神→横山大観記念館→不忍池から弁天島と廻って16:30頃、上野駅前で解散となりました。
あいにくの雨模様の天気でしたが、不忍池の蓮と雨がピッタリとマッチして、梅雨の上野不忍池周辺の散策となりました。
東浦和校「歴史散策倶楽部」は第1回の活動として、「知らなかった上野」をテーマに部長さんを名ガイドに戴き、天候に恵まれた上野の森を散策しました。
コースは上野駅「上野公園口」に13:00集合した後、まず上野公園・摺鉢山→大仏山(この手前、上野精養軒の前で、俳優中尾彬氏のテレビ放送撮影現場に遭遇しました)→上野東照宮→池田屋屋敷門→寛永寺輪王殿→寛永寺→淨命院→下町風俗資料館(吉田屋酒店建物)谷中霊園(徳川慶喜墓所・鳩山一郎・横山大観・長谷川一夫の墓等)→天王寺を廻って16:30頃、日暮里駅前で解散となりました。
各建物や遺跡の前で、リーダの詳しい説明と案内を聞くことが出来、上野の森再発見の散策を、参加者一同十分に堪能して帰路に付きました。